合宿免許が受け入れられる社会

周囲や身内の反対を押し切り、大財閥の三井、三菱ですら者。 「一日三回以上手を洗わない技術者はものにはならない」と、喜一郎は生前、口ぐせのように語ったという。
創業者の思い心の礎豊田喜一郎経営危機で辞任、他界…飛躍支えた『無念』汗と油にまみれた創業生産現場を歩き、豊田市役所内に建つ豊田喜一郎の銅像愛知県豊田市で二○○六年五月中旬、ボランティア施設「あすて」(愛知県豊田市)の和室にしつらえた茶席に、インドネシアやインド、トルコなどの女性ら十人が、ぎごちなく正座して並んだ。 普段着の日本人女性がお点前を披露すると、場に笑顔が満ちた。
「テレビで見たのと同じね」。 伝え合う言葉はさまざま。
異文化への抵抗感は、一気に薄らいだ。 女性らは、海外で働くトヨタマンの妻ばかり。
トヨタ自動車で技を学ぶ夫について来日した。 期間は数カ月にわたる。

茶会は、市内のボランティアグループが交流会として催した。 月にニ回、ちぎり絵づくりなど内容を変えて続いている。
代表の森清子も、トヨタOBの妻だ。 夫の仕事で七年間、南アフリカ共和国に住んだ。
「現地の人にお世話になったことへの恩返し」と話す。 トヨタは現在、年間千人前後、海外から研修生を受け入れている。
あすては、一九六六年に開所した「勤労センター憩の家」を前身とする。 旧トヨタ自動車工業百工、現トヨタ自動車)に勤める若い社員らが集う場だった。
ボランティアの中に、当時トヨタ自工社長のT・Eの妻、H子(ニ○○ニ年死去)の姿もあった。 一緒に活動したK・S「住む世界の違う人。
でもそんなそぶりは見せなかった」と話す。 開所の年、市内にできたばかりの高岡工場で、大衆車ブームの火付け役となった「カローラ」の生産が始まった。
連日フル操業の工場には、北海道や九州など全国各地から、集団就職の中卒男子らが集められた。 一万人に満たなかった社員は、六○年代末に五倍近い三万六千人に膨れあがった。
下請け企業も人集めに走り、若者が市内にあふれた。 慣れない土地で、時間に追われる流れ作業をこなす過酷な日々。
非行や犯罪に走る者が増えた。 グループ企業などが音頭を取り「精神的にくつろげる場」をつくった。
調理場を婦人会のボランティアが切り盛りし、汗まみれで勤務後に立ち寄る若者を「おふくろの味」で出迎えた。

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